車内に入ると外の暑さが嘘みたいに消えた。バックの中に薄いカーディガンを入れてきて正解だったと思う。こまち17号、と書かれた切符を片手にうろうろと歩いていると途中で襟首を掴まれて、ぐっと詰まった首元に文句を言おうと振り返れば哲がすぐ脇の座席を指差していた。

「ここだ」

「おお…ごめん気付かなかった」

「窓側座ってもいいか?」

「うん、でも帰りはわたしがそっちね」

わたしの言葉にああ、と小さく笑みを浮かべた哲は二人分のボストンバックを網棚に上げて奥の席についた。わたしも続いて隣に座る。腕時計を見ればまだ少し出発まで時間があって、わたしが一息つくよりも早く彼は数分前に買った駅弁の袋をそっと覗いていた。

「…食べたいならもう開けちゃいなよ」

「いや、せめて出発してからにする」

「ソーデスカ」

前の座席についている簡易テーブルを出してビニール袋を置き、それをじっと見つめる彼はまるで待てと言われている犬のようでおかしかった。それを口に出して笑うと哲はきょとんとした顔でわたしの方を見る。からかわれてもその意図に気付かず首を傾げるような反応は小さい頃からちっとも変わらなくて、すっかり大人の顔立ちになってもやっぱり哲は哲なんだなぁと少し安心した。

結城哲也とは幼稚園からの付き合い、いわゆる幼なじみというやつで、家も近所だったから小中高と同じ学校へ通った。親はわたしを公立高校に入れたがっていたけれど、近いから交通費が浮くだとか進学率が良いだとか散々説得をして青道へ入学した。哲がそこを受けたからだというのは秘密だ。

「でも、なんというか」

「なんだ」

「哲が高校の先生やってるとこなんて想像できない」

「ああ…それは純にも言われた」

しゃんと背筋を伸ばしてわたしと話す体勢に入った哲は、ひとまず駅弁のことを意識から追いやったようだった。俺に言わせれば純がサラリーマンというのも想像できないんだが、という哲の言葉にスーツ姿でデスクに向かう伊佐敷を思い浮かべてみる。…うーん、確かにちょっと、笑えるかも。今度仕事帰りを狙って飲みにでも誘ってやろうか。

こまち17号まもなく出発します、というアナウンスが流れて哲の肩が小さく揺れた。変な意地を張らずにさっさと食べてしまえばいいのに。そう言っても彼は出発まで断固として包みを開けないだろうから、せめてこのお預けの時間を潰そうと話を振った。

「今日は急に誘ってごめんね」

「いや…俺も久し振りに顔を出したいと思っていたからちょうどよかった」

「わー、それおばあちゃんが聞いたら喜ぶよ。きっと」

そう、今わたしたちが二人肩を並べて向かっているのは山形にある母親の実家である。先週祖母から電話をもらった際うっかりお盆以外にも休暇が取れたことを話してしまい、時間があるなら顔くらい見せなさいと半ば強引に旅行の計画を立てさせられたのだ。たまたまその休暇中に哲とランチへ行く約束をしていたため、詫びの電話を入れたとき思いつきで哲も来ないかと誘ったらまさかのオーケーを貰って今に至る。哲がわたしにくっついて山形へ行くのは小学生のとき以来だった。

ピリリリと甲高い音がホームに響き渡る。一拍置いて、重い車体がようやくのろのろと動き出した。次第に加速していく景色になんだかそわそわと気持ちが浮き立ってしまうのはあの頃から変わらない。隣を見ればいつの間にやら哲が自分の分の幕の内弁当を広げていて、わたしもビニール袋から焼肉弁当を取り出しつつその手際のよさに呆れのため息が漏れた。

「それおいしい?」

「ああ」

「ならよかったよかった」

里芋の煮っ転がしを頬張ってもぐもぐと咀嚼している彼は実に満足気である。わたしもいただきますと手を合わせてからご飯の上に乗っているカルビを箸でわって口に運んだ。当然のごとく冷めてはいるが、しっかり味がついていておいしい。隣からじっと熱い視線を感じたため小さめの肉を一枚やればふっくらおいしそうな厚焼き玉子が返ってきた。本当はかぼちゃの煮物が食べたかったけど、まだ残っているあたり哲も食べたいのだろうと思いありがたくそれを貰う。彼は好きなものを最後に残すタイプなのだ、小学生の頃に哲の残していたミートボールを食べて珍しく拗ねられたのをふと思い出して小さく笑った。

「どうかしたか?」

「うーん、哲とは長い付き合いだなぁと思って」

「…ああ」

名前とは長いな、と口を動かしながら頷く哲は大学まで野球漬けの毎日で、そんな彼がこうして今駅弁をつまみながらわたしと他愛もない話をしているのがなんだか不思議だ。出会ってからの年数が両の手では足りないくらい積み重なっても、哲の見ている先にはいつだって野球があったからそんな当たり前のこともいつの日か諦めてしまっていた。つかず離れずの距離を歩きすぎて、今更どう近づけばいいのか分からない。小湊に言わせれば「意気地なし」というやつだ。高校の頃、何とはなしにそんな話を持ちかけたら笑顔の彼には一刀両断されるし伊佐敷には「ウゼエ!当たって砕けろ!」なんて怒鳴られたっけ。

「…あのさ」

わたしの声にこちらを向いた小麦色の頬は、窓から差し込む光に照らされて眩しかった。空は雲一つない晴天だ。いつの間にか外の景色からは都内の喧騒が薄れ、ぽつりぽつりと田んぼや畑が並ぶ穏やかな風景へと変わっている。どうしてこのタイミングなのか、わたしは今焼肉弁当を持っているし、旅は始まったばかりなのだから気まずくなったら耐えられる自信はないし、かと言って逃げる場所もないし。最後の一口を頬張って首を傾げる彼に、でも、少しだけ歪に割れた箸をぎゅっと握り締めて今伝えたいと思ってしまったのだ。

「おばあちゃん家着いたら哲のこと、恋人だって、紹介したい」

わたしのたどたどしすぎる精一杯の一歩を、ごくりと最後の一口を飲み込んだ彼はどんなふうに捉えたのだろう。これで砕けたらアイツらへの土産話にしてやる、なんて頭の隅で早々に腹を括りながら、ふっと柔らかく頬を緩めた哲の次の言葉を少しだけすっきりした気持ちで待った。



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